この2ヶ月程、ずっと探し続けているが、どうやらホントに無くしたらしい。
一度に4つも(?多分)同時に物をなくす等、私にとっては今まで一度も無かった、前代未聞の事件と呼べる程の衝撃〜!!。
夫に買ってもらった、安物だけどどんな服にもさりげなく付ける事が出来て大好きだった、赤いビーズのネックレス。
発端は、このネックレスを付けて出掛けようといつものアクセサリー入れを覗いたら、無かった事。
じゃあ〜、、と、バリ島に一人旅した時に自分で作った、階段の形にオレンジ色の石を付けたトップに皮のひものペンダントも、失せている。
あれれれ〜〜〜〜!
そういえば、ここに母の形見の大粒の黒真珠の指輪入れてたっけ?入れてなかったっけ?
わかりませ〜〜ん。。。。
あの鞄に入ってたのを、こっちに片付けたのが、たしか。。。。
しかし、母の形見の指輪は3つあった様な気がするが。。。
妹達と分けた時、私は指輪ばかりを選んだ。
自分では、指輪なんて職業上することはほとんど無いが、母の手が好きだった。だから、母がいつも着けていた指輪が欲しかった。
多分、みなそんなに高価な物ではなかったと思う。調べる必要等私には無いしね〜〜。

物をなくす事は、めったにない。
夫は、財布に傘に、車の免許証に、売り上げの入った鞄に、etc
私には、そんなに物が消え失せる理由が判らない。

アクセサリー紛失事件以来、まだ諦めきれずに相変わらず、家中のかばんやパンツ、コート等、あらゆるものを探っている。が、出てこない。
大体、一つだけなら訳は判る。
何処かに置き忘れたのかもしれないし、、出掛けた時に落としたのかも知れない。
しかし、着けて出て行く事の無い指輪まで紛失とは、こはいかに?
示し合わせて、出て行ったとしか思えない。

そんなに、居心地の悪い家だったのかしら〜?
物を、、、つまらないアクセサリーの一つや二つや、三つや四つ。。無くした所で私の暮らしに何の変化もありはしない。
けれど、あまりアクセサリー等使わない私が、めずらしく気に入っていた、二つのペンダントと、母の形見という、よりによって曰く付きの物ばかりを、無くすというのは、、。何とも、形容しがたい喪失感がある。
たかが知れているこれらだけでも、これ程折に触れ、「どこいったんやろ〜?」と、家中ウロウロする位だ。
これが、この度の震災で家が流されたとか、何もかも跡形も無くしてしまった人達なら、いかに心の置き場を求めればいいのかと、その喪失感の深い空洞を、想像する事すら私には出来ない。恐ろしいのだ。何処か、、、心の何処かに見つめる事を恐れている自分が居る。

母を、亡くしたとき、母が逝ってしまう等という事は、私にとっては、あってはならない事だった。想像する事を拒否していた。笑われる位の想像力の欠如だ。母は、もう78歳だった。
背中が痛くて眠れなかったり、足が血栓でむくんだり、心臓も悪かったのにである。。
なのに、私には母がこの世から居なくなる事は、あり得なかった。いつも、愚痴電話を掛けて来て、私にだけは云ってくれてた事、私は判っているつもりだった。
しかし、そういう日常が終わる時が来るという事が、私には想定外。あはは。。
と、自分を思いきり笑ってしまう。
これだけ、自身、歳をとっているのに。。いつまでも、親にとっては子供は子供。
子供にとっては親は親なのかな〜。

人の気持ちに想いを馳せるのは、やさしいことではあるが、簡単ではないなと自省する。
出て行った、私の思い出達。
自分で歩いて帰って来てくれたら、又ピザでも焼いてあげましょう。今度は美味しいチーズを沢山買えるお店を見つけたから!